luckystrikeyokoの人生はぼちぼち

モータースポーツ好き・旅行したり写真撮ったり・ドイツ暮らし

コンプレックスが消えて自分を肯定するとき

f:id:luckystrikeyoko:20180211195252j:plain


 「あぁ、自分はこれでいいのか」と思えたことがこれまで何回かある。

 

1回目は高専に入ったとき。当時は1990年代後半、「オタク」がネガティブなイメージで使われていたけど、同級生の皆はそんなのお構いなしに好きなことを好きなようにしていたし、好きなもの同士で喋っていて、そしてそれを否定する人もいなかった。趣味をあまり外に出さないオクテな人もいたけど、話を聞くと嬉しそうに話す。オタクではないけれど中学校で一匹狼で過ごし集団につるまずとにかくド田舎から脱出したかった自分には、それが新鮮で、なんだ世の中には変な奴もいっぱいいるんじゃん、好きにしていいんだと、なんといえば良いのか、気が楽になった。

 

2回目は転職で某コンサル会社のエンジニア部門に入ったとき。第二新卒で入った会社の同期は有名大学を出た頭いい人や、海外の大学行った人とか、自分のそれまで知らなかった世界にいた人たちばかり。ここもまた個性が様々で、目からウロコが落ちまくった。大抵の人の話は面白いし、趣味とか、経歴とか、これからどうしたいとか、前向きで自分を肯定していたり人生を楽しんでいる人に出会った。ただ全てがすごい!というわけではない。コンサル会社の特性なのか、妙に鼻が高い人もいたり、人をいじってなんぼとか、あと飲み会が大学生みたいにガブガブ飲んだり面白いこと言わなきゃイカン、という面は嫌いだったので、必ずしもここで働いたことがどれもとにかくよかったというわけではない。それでもいろんな感情や経験をした。中国人やフランス人と働いたり、少しずつ英語を使うようになったし、最後のプロジェクトで海外暮らし経験者や英語を喋る人がいたので、海外に行くのもアリなのかな、と視野が広がったのはこの会社に入った結果だ。

 

日本に居る頃は付き合う人の業種がどうしてもITに偏っていたのが、ドイツに来てみれば、 それまで会わなかったような人達と出会った。語学学校というフラットな環境で学生もいれば社会人もいれば、国籍も人種もいろいろでお金持ちの子供とか難民とか混ざってる。働き始めれば、関係企業にいる人と話したりいろんな経歴でドイツに来て住んでいる人たちとの出会い。いつの間にか、自分を肯定するとかそんなことすら気にすることがなくなった。

 

  

なんだかわからないけど自分にコンプレックスがあった。田舎、貧乏、太ってて美人じゃない、貧乏だったのもあって制限があったのは事実。だから外に出たんだと思う。そしてやっと遊べるお金が手に入るようになった社会人になってからはお金使いが荒かった。(その反動で20代後半から貯蓄と投資を始めた。)

小さい頃のコンプレックスは、友達の家ではあぁなのに…とか今思えばつまらないけどそういうこと。お金がないから学費安くてさっさと就職できて寮があるところ、という理由で選んだ高専。自分で好きなように選べなかった悔しさ。海外の学校なんて知らなかった。たぶん、貧乏&田舎&親の期待という制限があり、そこから出ていきたいのに、選べる道がなにもなかったことに不満を感じていたんだと気づいた。

 

とにかく外に出て、1人で生きて制限されることなく暮らす生活がしたかった。日本に帰ることを考えないのは、親元を離れていたい私のワガママだ。だから、何もいらないから1人でいる。何もいらない、だから何も制限しないでくれと。いつか親の死に目にあえなくても、申し訳ないがそれは私の選択の結果だ。離れると決めたのだ。側にいてほしいという期待には応えられないのだ。側にいれば制限されてしまうから。

 

ドイツに来たあたりから、コンプレックスもようやく薄くなった。今の自分の手元にある暮らしや人生が好きだから、後悔はしていない。

いま思えば、貧乏なのになんとか高専まで卒業させてくれて、お金も出してくれて、そして数学や理系科目が好きで「女の子なのに…」とかバカなこと言わなかった親には感謝している。でないと高専には行かなかっただろうし、そこからこれまでの人生はかなり違ったものだっただろう。

 

外に出ていくことで自分は救われたと思う。出ていきたい、どこかに行きたいと思ってきた。そんなことをしていたら、自分のことを自動的に肯定できるようになった。というより、コンプレックスに目を向けなくなった。10代や20代ではわからなかったけど、30代でようやく。かなり時間かかったかな。悩みや問題はまだある。たくさんある。でも、自分はこれでそうそう悪くないと思ってる。いまわかるのは、コンプレックスなんてそんなに気にすることなかったんだろう。本当は、自分に向き合ってなかっただけなのだ。1人になって自分に向き合う時間が必要だったのだ。

  

今の自分の姿はこうなろうと思ってなったわけじゃない。どうにかしようとしていたらこうなっていた。もう少し若いときに自己肯定があってもよかったなと思わないでもないけれど、結果オーライ、やっと自分を好きになれた。

 

eod