luckystrikeyokoの人生はぼちぼち

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守護霊について いま思うこと

ときどきこの肉体以外の存在について考えることがあります。霊だとか守護霊とか、日本の神道でいう神様、見えない存在のエネルギーのことです。

 

わたしは大して霊感が強いわけでもない、この物理的な世の中を生きているただの人間で、霊などみたこともなければ神様とお話できる能力も持ち合わせていません。

 

だけどふと「守護霊が自分のそばにいる」という漠然としたことを思い出し、とはいえ彼らと通信できる能力のない自分には、さて彼ら(=守護霊)に対してなにをするでもなく、その存在を感じる、ということを最近やってたり(?)します。



これはわたし個人の意見ですが、守護霊は自分を守ってくれる存在であり、自分に試練を与える存在であり、願いをかなえてくれる(←ちょっと語弊があるな)存在、というようにとらえています。

 

困ったことがあれば「たすけてください」「何かアドバイスをください」とか願ってみると、見えないチカラで何かしら助けくれているんじゃないかなぁ、という気がします。
もともと守護霊は尊い存在であり、わたしを助けてくれることでさらに彼らの格が上がる、ということもあるようで、自分でうんともすんともできないときは、たまには願ってみるのもいいんじゃないか、と思う次第です。(もちろん大事なところは守護霊頼みでなくちゃんと自分でしなきゃですね。)

 

守護霊が助けてくれたかな?という一例として、今の会社に内定を頂きフランクフルトで部屋探ししていたときも、「お願いですから安くてよい部屋が見つかりますように」と願って部屋が見つかったというのがあります。当時は無職あがりで就職したばかりでお金のなかった私に大家のおばさんは「初回家賃をちゃんと払ってくれればデポジットは給料入ってからでもいいわよ」とすごいオファーを出してきたもんでした。
(それ以外はルールのきついおばさんでしたけどね(笑)→過去ログ参照)




私は輪廻転生を信じており、万物に魂が宿るという仏教・神道ベースの考え方を持つ人間なのですが、おそらく前世は修道女や尼だったのではないかな?と思うことがあります。

 

たとえばお城や宮殿を見て「キレイ」とは思うだけで他はなにも感じません。あれは、王様や貴族が平民達を働かせて作っただけの、ただの豪華な建物です。あえていうなら彼らのエゴのために作った建物。

 

教会にいくと何かしらの祈りのようなものを感じることがあります。もちろん気のせいかもしれません。神という存在に対しての祈りを込めて作った建物、祈りをささげるための建物、それが教会や修道院、神社、亡くなった人を祀るお寺、と思っています。そういうエネルギーのようなものを感じます。



なんていうことが私の魂の背景なので、見えない存在の守護霊というものに対して違和感なく受け入れているんじゃないかと思います。



なんだかオチが難しくなってきましたが、独白のようなblogなのでよいでしょう。書く作業がしたくて始めたらいろいろまとまらなくなってきました。
日ごろぼけーとしているもやもやを文章に書いてみました。

 

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(*上記は自分の意見であり、私は霊能者でもなんでもありません。くわしいことは、専門家に聞いてください。)