<span itemprop="headline">予期できないもの</span>
こないだランチ中に同僚と話していて、先日ニュースにもなった御嶽山の噴火とか富士山が噴火したらどうするとかいう話。
そこで噴火って予知できないんですかね、まだ難しいらしいよ、富士山噴火して日本が真っ二つになる漫画があった、とかいう話になり。
富士山噴火したらどうする?って、そりゃ麓にいたらもう死ぬよな、なんてチャラけた感じでもなく普通に。
そりゃそうだ、富士山噴火してマグマ飛んできたら死ぬわな。
不謹慎かもしれないけれど、御嶽山のニュースを見ていても「救えなかったのか」「予知できなかったのか」という話を見ても、正直私は、人が亡くなることの悲しさとは別の側面から、どこまで人間ってエゴなのかな?なんて思う。
そりゃシステムで検知できりゃすごいと思う。そこを高めたり目標を持つのは人間に生きがいをもたらすと思う。
でも忘れてはいけないのは、生物の基本として、自然の中で生きる我々なのだから、自然で何かあればわが身に降りかかってくるのは自明で、それを拒否ってのはできないわけで。中国の黄砂が風に乗って九州に飛んできたり、桜島の灰が街中に飛んでいたり。
自分は山に登る人間ではないけれど、それでも山に登るのであればそういうことはあるわけで、台風の日に外に出ればずぶぬれになって風邪をひくとか、モノが飛んでくるとか、規模は違えどそういうことと同じレベルなんだと思う。自分ではコントロールできない大きな力(=自然)の中で何かをするなら危険というかリスクと隣合わせなのを忘れてないかな。サーフィンでおぼれてしまうこともあるわけで、いつでも100%安全などないのだと。
予期せぬ死や若くして死を迎えるのは、そりゃ悲しいことだと思う。
友人や家族がなくなれば悲しいのは誰でもそうだ。
でも死というのは、自然災害と同じで予期できるものでもないし、長生きして老体で亡くなることでも何歳まで生きられるって予期できるものでもない。
なんとなく来年は何しよう、いつ日本に帰ろう、と思うけれど、それって幸せなことで、本当はそれがなにかに100%保障されているわけではないんだなぁ、と
そう思うと、日本にいる友達や家族や、他の国にいる(数名だけど)友人とか、最後に会ったのが本当の最後になる可能性があるんだなと実感してちょっと寂しくもありそれが人生で自分で海外に来たんだから、とちょっとしみじみしてしまうのでした。
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