luckystrikeyokoの人生はぼちぼち

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<span itemprop="headline">戦争について考える・学ぶ</span>

自分は長崎県出身で、毎年夏休みには2回登校日があった。原爆が落ちた日と終戦の日。原爆が落ちた時間には黙とう。

廊下には戦時中と戦後の写真。その後教室で被爆した人達のドキュメンタリーとか見てた。小学一年生の年齢で、腕が焼けただれた写真とか服が腕にはりついた人とか見たんです。肌がケロイドになった人とか。(書いてるだけで小学校んときの気持ち悪さがよみがえるな…)

小学校の修学旅行は長崎市、原爆資料館行きました。中学校は広島、もちろん原爆資料館行きました。広島のが怖かった…ぞっとする怖さで、みんな怖がってた。

高専は国立のせいかそれがなかったんで(なぜだ…まぁ寮制度で夏は帰省してるからかな)、小中学校の9年間。たぶん県立高校は有ると思う。

あと鐘楼流し。毎年夏はそれが恒例。

9年でも十分…戦争はいらないって肌身でわかった。

命令する政府や軍トップ、戦う軍人、被害を受けるのは民間。戦った軍人とか、彼らも徴兵された民間人で、戦争で死んでいった魂達を鎮魂するのはわかります…でも、どんな形であれそれを美化したりするのは違うと思う。「日本のために戦った」って、すごく違和感。現代で言うなら仕事を全うした、みたいな。その前にそもそもそれ、やるべきことなの?そんな戦いとか徴兵とかが、いらなかったこと。戦争、争いは人が起こすもので、二度と起こさないようにしようと誓うとか、起こしてしまったことを省みることが必要なこと。当時の状況を知るとか学ぶのはいいんですが、美化するようなこと言ってるのには違和感を感じる。仕事を全うする前にその存在意義を問うてほしい。

戦わなきゃもっと被害が拡大してたというのも、そうなんだが…戦ったこと(=戦争)を正当化するように言うのは違う…。戦争は人が犯した大きな過ちで、正当化も何もない非情の時代。戦争を経験していない自分たちは、無力だ。学ぶことと、将来起こさないようにしようと努力することしかできない。戦争は人類の歴史上ずっと続いてきたことだって言うのも、なんで過去のことを正当化に使うかね。イヤだから止めたいつって将来のこと言ってるのに過去のことを持ち出すのはおかしい。そもそも今もこの先も必要なことか?国境もある程度認知・運用されているこの時代に。領土問題とか戦争じゃないと解決できないんか?戦わずして解決する手を考えないんか?わたしゃ人を殺したくないし加担したくない。領土のために戦争しなきゃならんのならそんな領土ほしくない。

あーこういうの書き出すとほんと長くなるわ。まー誰にどう突っ込まれようと何言われようと、イヤなんです。


で、自分、戦争映画見れないんですよ。こう、「う…」てなる。吐くとかじゃなくて。写真見るだけでもけっこうきますけどね。特に人の写真は。戦争を批判している映画であってもその精神はもう十分自分の中にあるんでね。当時のグレー写真の質感が体に染み込んでる。
シリアとかの写真なんてもうカラーでしょ、ニュース写真見るとほんときつい…。なんでこうなるんだろうとか、起きない為にどうすりゃいいかとか、考える。


全都道府県で毎年夏の登校日はあるんかな?子供たちに、考えてもらう機会。(ちょっと調べる限り夏休みの登校日自体がない学校もあるもよう)

それで戦時中や戦後の写真を見たりドキュエンタリーを見たり。これとかは、まだ軽い方。人の写真が少ない。自分の記憶だと、もっと人の写真があった。



永遠の0見て戦争について考えさせられたとか感動したとかいうの見てると、いや見なくても毎年考える機会あるし戦争で感動ってなんだ…と思って書き出してみたのでありました。下調べがすごいらしいのでいち文献(?)として学校教育よりも細かく学ぶという点では読んでみるといいのかなと思うんですけど、感動するのは違和感。
しかしこういうトピックはかなり書くのが難しい。それもそうだ、書いてていろいろ思いだすので辛いっす…。

eod